河村建夫元官房長官の長男である河村建一さんが話題となっていますが、どのような経歴の持ち主なのでしょうか?
wiki経歴をまとめていきます。
また、出身高校や大学など学歴も気になる所ですね。
今回は、wiki経歴以外にも出身高校や大学など学歴についてもまとめていきます。
河村建一のプロフィール
名前:河村建一(かわむら けんいち)
出身地:山口県萩市
生年月日:1976年1月29日
河村建一さんは、最強の城にも選ばれた萩城がある山口県萩市に生まれました。
世界遺産に登録されているスポットが点在している城下町の「萩地域」や「明治日本の産業革命遺産」、国指定の名勝である長門峡や阿武川ダムがあったりと自然豊かな場所となっています。
父は河村建夫
父は元内閣官房長官を務めた河村建夫さんです。
河村建夫さんは日本政治界でもとても有名な人で多くの功績を残してきました。
1942年に山口県萩市に生まれた河村建夫さんは、1976年に山口県議会議員補欠選挙に自由民主党公認で出馬し初当選。
2001年には第二次森改造内閣で初代文部科学副大臣に就任。
2006年には政調会長代理に任命され、翌年に党広報部長に就任しています。
さらに2008年に麻生内閣で内閣官房長官に任命されました。
その後も多くの色々な役職に就任しますが、2021年に惜しまれながら政界を引退しました。
河村建一のwiki経歴まとめ
2001年:河村建夫の公設第二秘書
2005年:河村建夫の公設第一秘書
2006年:慶應義塾大学SFC研究所 上席所員
2007年:政策担当秘書
2008年:「宇宙基本法」で立法スタッフ総括担当
2017年:河村建夫の政策担当秘書
2001年に父である河村建夫さんの公設第二秘書に就任。
同時期に、財団法人未来工学研究所主任研究員や慶應義塾大学SFC研究所上席署員、東京大学大学院航空宇宙工学研究科研究員などを兼任。
2004年まで公設第二秘書を務めていたが、2005年からは公設第一秘書に就任しより一層父の元で働くこととなりました。
2007年には政策担当秘書を務め、2008年に成立した超党派議員立法の「宇宙基本法」の立法スタッフ総括担当を務めたほか、麻生内閣で内閣官房長官政務秘書官さらには日本で初となる「宇宙基本計画」立案過程に関わっています。
2017年からは父(河村建夫)の政策担当秘書の他、山口大学工学部客員准教授及び山口大学応用衛星リモートセンシング研究センター戦略アドバイザーとなった。
直近では2021年に10月投開票の第49回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロックから出馬しましたが残念ながら落選してしまっています。
河村建一の出身大学や高校など学歴まとめ
多くの経歴を持っている河村建一さん。学歴も凄いことが分かっています。
河村建一さんの学歴が以下の通りです。
山口県立萩高等学校
青山学院大学 法学部
東京大学大学院 情報学環学際情報学府修士課程
1つずつ詳しく見ていきましょう。
出身高校:山口県立萩高等学校
山口県立萩高等学校は、山口県萩市堀内132に位置しており海が近くにありとても自然豊かな場所となっています。
偏差値は40~58と山口県内でも199校中29位と上位に位置している事がわかります。
とても優秀な高校ですね。
また、高校時代はバスケ部に所属していたとの事です。
勉強だけでなく、部活動にも真剣に取り組んでいたんですね。
出身大学:青山学院大学 法学部
山口県立萩高等学校を卒業した河村建一さんは、青山学院大学法学部に進学します。
青山学院大学はホラン千秋さん(タレント)や、高木毅さん(元復興大臣)や、長坂康生さん(元経済産業副大臣、元内閣副大臣)など多くの著名人が卒業生に名を連ねています。
有名・人気大学なだけあり、偏差値も57.5~62.5とかなり高い値となっていますね。
出身大学院:東京大学大学院 情報学環学際情報学府修士課程
東京大学大学院は、東京都文京区本郷7丁目3-1に位置しており有名な赤門がありますね。
あの門をくぐっていたと思うと凄いですね。
大学には偏差値はありませんが、倍率は2~4倍となっています。
あまり高くないと思う人もいるかもしれませんが、受ける人が東大出身の方や高学歴の方ばかりなので受かるのはとても難しいですよ。
そんな大学院に受かり無事修士課程を終えた河村建一さんはほんと凄いですね。