ブレイキングダウンに出場した事で一躍時の人となった、醬油ニキこと大山田涼太郎(本名:家村涼介)さん。
とてもヤンチャなイメージのある大山田涼太郎さんですが、昔自衛隊に所属していたことが分かっています。
では、自衛隊の時は何処の部隊に所属していたのでしょか?
今回は、大山田涼太郎さんの自衛隊時代についてまとめていきます。
大山田涼太郎のプロフィール

活動名:醤油ニキ、大山田涼太郎(おおやまだ りょうたろう)
本名:家村涼介
生年月日:1996年1月23日
出身地:不明
職業:YouTuber、ドリームエナジー代表取締役社長
ブレイキングダウンのオーディションで醤油を頭からかぶり一躍時の人となった醬油ニキこと、大山田涼太郎さん。
ヤンチャそうなイメージの彼ですが、意外な経歴の持ち主という事分かっています。
18歳:自衛隊入隊
21歳:寿興建株式会社に入社
26歳:ドリームズ・エナジーの社長に就任、ブレイキングダウン参戦
18歳の時に自衛隊に入隊。
3年後の21歳の時には自衛隊を退職し、寿興建株式会社に入社しています。
さらに、26歳の時にはドリームズ・エナジーを設立し社長に就任し、ブレイキングダウンに参戦。
自衛隊に所属していたことや、社長を務めている事はとても意外ですね。
ブレイキングダウンの戦績

ハイメ○(3-0判定)
双子のヨシ and 双子のケン○(0-5判定)
七原嘉輝○(KO)
外炉保尋斗●(3-0判定)
ジョン・ジェイル●(KO)
通算5戦中3勝2敗と勝ち越しています。
大山田涼太郎は元々自衛隊に所属していた

かつて自衛隊に3年間所属していた事が明らかになっている大山田涼太郎さん。
なぜ高校卒業後自衛隊に入隊したのでしょうか?
自衛隊を選んだ理由について、自身のYouTubeチャンネル「醤油ニキ」で語っていました。

公務員で安定しているからという理由で入隊を決めたそうです。
皆さんが持っているヤンチャなイメージとのギャップが激しいですね。
自衛隊と言えば戦車部隊や偵察部隊や水陸両用車部隊など色々な部隊がありますが、大山田涼太郎さんは何処の部隊に所属していたのでしょうか?
所属部隊は超エリート集団の第一空挺団!

大山田涼太郎さんは、第一空挺団という部隊に所属していた事がわかっています。
なんとその第一空挺団という部隊は同期でも1人しか行くことが出来ない、エリート集団です。
自衛隊に入隊してから初めの6か月は教育があり、前期は新隊員教育として自衛隊としての基礎を学び、後期は配属される部署で教育を受けるという事は知っている方もいるのではないでしょうか。
前期は福山駐屯地で教育を受けていた大山田涼太郎さん。
しかし、当時遠距離で付き合っている彼女がおりその子の近くで働きたいという理由で、後期は習志野自衛隊にある第一空挺団に配属されることになります。
第1空挺団とは日本唯一の落下傘部隊であり、陸上自衛隊の精強部隊として、
侵略・大規模震災などの国家の危機に際しもっとも困難かつ重要な場面に、迅速に空中機動し
落下傘等によって降着し身を挺してあらゆる任務を果たすことが求められている部隊です
後期から配属されて第一空挺団の訓練が壮絶だったそうです。
第一空挺団の壮絶な訓練内容

大山田涼太郎さんが第一空挺団で受けた壮絶な訓練内容がこちらです。
ゴキブリがいるような部屋で12人で寝る
毎朝5時半起き、風呂3分、飯5分
100㎞行軍(富士山を3日寝ずに歩く)
基本降下訓練(パラシュートで5回降下)
真夏の7.8.9月にゴキブリが出そうな部屋に12人で寝るという過酷な環境だったそうです。
しかも毎朝5時半起きで、風呂は3分しか与えられず、ご飯は5分しかなかったみたいですよ。
普通に生活していたら考えられないですね。
さらに、訓練内容には富士山を3日3晩寝ずに100㎞歩く「100㎞行軍」や、高所からパラシュートで5回飛び降りるといった物があったようです。
新人はパラシュート降下訓練を4回行うと一人前の隊員として認められるとの事です。
大山田涼太郎の自衛隊時代の画像

壮絶な訓練を耐え抜いてきた大山田涼太郎さん。
当時の写真を自身のTwitterやYouTubeで公開していました。


とても男前ですね。