株式会社エンジンの代表取締役である谷口和弘(たにぐち かずひろ)さん。
ミスチルの桜井和寿さんの側近とも言われている彼ですが、一体経歴の持ち主でどんな人物なのでしょうか?
桜井和寿さんの側近と言われているほどなので、凄い経歴の持ち主なのでしょう。
今回は、谷口和弘さんのwiki経歴をまとめていきます。
谷口和弘のプロフィール
名前:谷口和弘(たにぐち かずひろ)
生年月日:1976年12月10日
出身地:三重県名張市
職業:株式会社エンジン代表取締役社長
谷口和弘さんは三重県名張市という場所に生まれました。
三重県名張市と言えば、自然豊かで赤目四十八滝や忍者の森などが有名ですよね。
現在はMr.childrenの桜井和寿さんの側近と言われる程、音楽に精通している谷口和弘さんですが、幼少期は音楽とは疎遠の生活をしていたそうです。
姉1人と両親の4人家族でしたが、誰一人音楽に関係しておらず、谷口和弘さん本人も学生時代はサッカーに没頭。
しかし、学校の先生がサッカーの試合に連れて行ってくれる際にBOφWYの曲を聞いた事で彼の人生は変わっていきました。
高校に進学すると、ギターに興味を持ち始めどんどん音楽の世界に魅了されていきます。
しかし高校卒業した後、エンジニアを目指して大阪のキャミットミュージックカレッジの音響科に進学。
キャミットミュージックカレッジの音響科とは・・・
音響エンジニアコースでは機材の仕組みや使い方をはじめ、1年次は音響全般の基本を、2年次からはより専門性の高い内容をクラス別に学ぶことができる専門学校。
キャミットミュージックカレッジの音響科卒業後は、少しの機関は実家のある名張市の実家でアルバイトをしていましたが、ある程度のお金が貯まった事で1997年に上京。
ここから、彼の人生が大きく動いていきます。
谷口和弘のwiki経歴まとめ
1997年:上京・OORONG-SHA
1999年:Mr.childrenのマネージャーに抜擢
2014年:株式会社エンジン設立
簡単に谷口和弘さんの経歴をまとめると上記のように、1997年に上京し、OORONG-SHAに入社。
2年後の1999年にはMr.childrenのマネージャーに抜擢され、2014年には株式会社エンジンを立ちあげています。
しかし、それぞれのタイミングでエピソードがあったようなので説明していきます。
1997年:上京・OORONG-SHA(ウーロビート)入社
専門学校卒業後、上京した谷口和弘さん。
上京当初は簡素なアパートに住みながら就職せず、ニート暮らしをしていたそうです。
ニートの時も音楽への熱は冷めず、Mr.childrenの曲を聞いていたみたいですよ。
ふらふらと生活していた谷口和弘さんですが、ある日以前応募していたOORONG-SHAの子会社であるウーロビートから面接の依頼が。
大手会社のOORONG-SHAではあったが、「元気が良かった」との理由で無事採用。
1999年:Mr.children(ミスチル)桜井和寿のマネージャーに抜擢
ウーロビートにマニピュレーターとして入社した谷口さんの最初の仕事は、桑田佳祐さんのスタジオ機材の運搬だったそうです。
マニピュレーターとは・・・
楽曲制作でミュージシャンが生演奏する以外のパートをプログラミング(打ち込み)によって制作し、ライブではそのオペレーションを行う人のこと
いきなり大物歌手の機材を運搬なんて緊張しちゃいますね。
マニピュレーターとしてのキャリアを順調に積んでいたさなか、上司や関係者から「マネージメントの世界で活躍を期待している」と言われたことでマネジメントの世界へ足を踏み入れます。
入社2年目で当時23歳だったことを見ると、谷口和弘さんが仕事の出来る人間という事が分かりますね。
かねてより親交のあったMr.childrenのマネージャーに抜擢された谷口和弘さんは、「人生の踏ん張りどころ」と自分を鼓舞し一生懸命働きます。
2014年:株式会社エンジン設立
寝る間も惜しんで一生懸命働いた谷口さんは、新たな道を築きたいという気持ちから2014年に自身の会社である株式会社エンジンを立ち上げます。
Mr.childrenのマネージャーとして献身的に働いていた事もあり、会社設立時には桜井和寿さんや小林武史さんから多くの協力を得る事が出来たそうです。
今では、桜井和寿さんの側近とも呼ばれる方になりました。